ご報告・・銀次郎のこと⑧ すっかりタガが外れた親バカのタワごと
銀次郎の報告も、今回でもうすでに8回目・・・
ワンコを亡くしたからと言って、あまりにもセンチメンタルすぎるとか、
こんなにクドクドと、よくいろいろ書けるもんだとか、大げさとか、
そういう風に思われる方がおられるのは、もちろん承知しています。
こうやって書きだしてみると、自分でも驚くくらいに、
言いたいこと書き残したいこと、思ったことが、ズラズラと湧いてきて、
それを書き連ねていたら、こうなっていました。
だから、どなたにも読んでいただけなくても、呆れられても仕方ない、
それでも、どうか最後まで書かせてもらいたいと思っています。
でも、だからと言って自分の気持ちは・・・
ショックはちっとも癒えないし、今も想いだしては、ため息をつく日々に変わらないのだけれど・・・
少しは整理はつき始めたのかなと思ったりします。
今回は特に、だいぶおかしくなったバカ親が、言いたい事を言っていると思って下さい。
どうぞスルーしてくださいね・・・
銀は、パピーの頃はもちろん、8才になってもとにかくかわいくて美しい子でした。
自慢のコートやミミゲーは、3才の頃がいちばんゴージャスでしたが、
少しボリュームが減ってきても、それはそれで優雅な感じになったと思っていました。
末広がりに、滝のように流れるシッポちゃんを見ながら歩くのが大好きでした。
ブレーズが広めで優しい表情で、タンマークとまん丸お目目のアイドル顔が、
ほんとに可愛くて大好きでした。

鹿ちゃんが3ヶ月過ぎて、一緒にお散歩行くようになっても、
かわいい盛りのパピー時代の鹿ちゃんといても、小学生の女の子たちから、
「わたし、こっちの子の方がいい!」と、銀ちゃんが指さされてて、何だか鹿がかわいそうなくらいでした。
鹿ちゃんはパピーの頃から、キリっとしたハンサムくんだったけど、
銀は甘いお顔のアイドル系なので、子供たちに気に入られたんだと思います。
とてもフレンドリーで、散歩のときは、ワンコにも人にも自分からあいさつに行く子で、
誰にでもかわいがられて、「この子はセラピー犬になれるよね?」と言っていました。
ニコニコ顔もかわいかったけど、わたしはちょっと済ましたお顔が好きでした・・・
目をそらさずジッと見つめる子で、何だかドキドキすることも・・ ←アホですね
歩く姿もきれいな子で、いつも顎を上げて胸を張って、シッポも必ず上がってて、
サッサッとシャキシャキ歩いてました。
大人になってからは、地べたを気にすることはほとんどなく、たまにクン活するだけで、
ズンズン前を向いて歩いていました。
ドッグランで走る時も、とてもきれいで・・・我が子ながら見惚れていました。
ララにはあまり仲良くしてもらえなかったけど、
鹿之介には、ほんとうにいいお兄ちゃんになってくれていました。
優しくて・・・鹿ちゃんをとても可愛がってくれていました。
ララが亡くなる前は、銀はどちらかと言えば、大人しい子だったけど、
ララが亡くなった後は、少し我も出てきたのか、要求するときも出てきたりして、
かえってそこもかわいかった・・・
何かして欲しいことがある時は、まん丸に目を見開いて、まっすぐこちらの目を見て、
明るい声で、ワン!ワン!と言っていました。
甘えた鼻声でねだったり、上目遣いでお願いするような感じは全くなくて、
堂々と?意思表示していました。
こういう子って多いんですかね?
ララはわたし達には控えめな子だったし、鹿ちゃんはキュンキュン甘えた声でねだるから、
こういう子って銀次郎だけだったんです。
親バカなわたしは、王子様みたいだと思っていました。
怒ったとこ?なんか見たことないし、嫌なことされそうなときに、噛む真似?みたいなことも、子供の頃からしたことありません。
病院のチックンとかでも、ひたすら耐えて、終わったら「ヒャンヒャン・・・」とベソをかくくらい・・・
ブラッシングなども、嫌な時もあったろうけど、我慢してさせてくれていました。
ネコに近いのかな、ツンデレちゃんで・・・構われたくない時は少し離れたところで寝ていました。
お留守番もちゃんとできる子で・・・
あーでも、福岡から熊本に引っ越してきた時は、もうララがいなくて銀ひとりだったのですが、
最初の頃は、お留守番を嫌がって不安そうにワンワンしてました。直に慣れてくれたけど・・
昨年、今の家に引っ越してきたときは、銀鹿で一緒だったからでしょう、
どちらも、最初からおりこうさんにお留守番していましたが・・・
でもパピーの頃は、毛布やコード噛みちぎったり、それなりのイタズラはしてたなぁ・・・
忘れてました。
写真を撮る時も、ちゃんとステイができる子で・・・あ、ここはララが先生かな・・・
おかげでかわいい写真がいっぱいあります。
おトイレ上手で、引っ越してからもすぐにおトイレ覚えて、鹿にもちゃんと教えてくれました。
昨年から、調子悪くて下痢Pになっても、
二階の寝室にいても、一階のワンコトイレに降りてきて、ちゃんとおトイレでしていました。
おチリが汚れたと思えば、ベッドに上がることなく、わたしが拭いてあげるまで待っていました。
亡くなる日も・・・
もうその頃はみんなで、ワンコトイレがあるリビングに、夜もお布団敷き詰めて一緒に寝てて、
昼間も少し畳んで横に置いてただけで、そこの上やソファで過ごしてたけど、
それでも、自分でおトイレに行って、チッコもウ○チもしていました。
間に合わないこともあるかなと、マナーベルトしてたけど、ほとんど必要なかった・・・
内臓にも出血があったのでしょう、最後はもう、タール便しか出なかったけれど、
それでも自分でトイレシートまで行っていました。
もういいのに・・・身体辛いだろうから、もういいのに・・・見てて切なくなりました。
ほんとにいい子だった・・偉い子でした。
こんなにかわいくていい子が、ウチなんかにきてくれて、
わたし達にはもったいないから・・・もったいなさすぎるから、
早く逝ってしまったのかと、イジケ根性でひねくれたことも考えました。
病気になってしまったからなんだと、頭では分かっているんだけど・・・
初めてワンコのララは、6ヶ月で迎えて、女の子だったせいかその頃からしっかり者で、
そこそこオトナな感じで、わたしにとっては年の離れた妹・・と言う感覚でいましたが、
銀は3ヶ月で迎えて、パピーの頃の銀はお腹壊したり、何かあれば不安そうにしたり・・・
車酔いもしていたし、わたしがちゃんと育てなきゃって頑張らなきゃって思って、
人間の子供がいないわたしを、初めてお母さん気分にさせてくれました。
ワンコだから、先に亡くなってしまうのは分かっていましたが、
息子のような気持ちで、ずっとずっと愛してきました。
人間の子供なら、溺愛しすぎたり甘やかせすぎたりしては、いろいろ問題なのでしょうが、
独り立ちしなくていい、ワンコの息子だし・・・
考えてみると、わたしが銀ちゃん依存症だったと思います。
今までもそうだけど、今後の色んな楽しい計画も、ぜんぶ銀鹿と一緒にいることが前提だったので、
今となっては切ない限りです。
わたしにとって、ほんとにかわいくて大事な大事な銀でした。
ほんと、タガ外れちゃって・・・
同じことを、何回も何回も言っているな・・・
困ったオバサンです。
ワンコを亡くしたからと言って、あまりにもセンチメンタルすぎるとか、
こんなにクドクドと、よくいろいろ書けるもんだとか、大げさとか、
そういう風に思われる方がおられるのは、もちろん承知しています。
こうやって書きだしてみると、自分でも驚くくらいに、
言いたいこと書き残したいこと、思ったことが、ズラズラと湧いてきて、
それを書き連ねていたら、こうなっていました。
だから、どなたにも読んでいただけなくても、呆れられても仕方ない、
それでも、どうか最後まで書かせてもらいたいと思っています。
でも、だからと言って自分の気持ちは・・・
ショックはちっとも癒えないし、今も想いだしては、ため息をつく日々に変わらないのだけれど・・・
少しは整理はつき始めたのかなと思ったりします。
今回は特に、だいぶおかしくなったバカ親が、言いたい事を言っていると思って下さい。
どうぞスルーしてくださいね・・・
銀は、パピーの頃はもちろん、8才になってもとにかくかわいくて美しい子でした。
自慢のコートやミミゲーは、3才の頃がいちばんゴージャスでしたが、
少しボリュームが減ってきても、それはそれで優雅な感じになったと思っていました。
末広がりに、滝のように流れるシッポちゃんを見ながら歩くのが大好きでした。
ブレーズが広めで優しい表情で、タンマークとまん丸お目目のアイドル顔が、
ほんとに可愛くて大好きでした。

鹿ちゃんが3ヶ月過ぎて、一緒にお散歩行くようになっても、
かわいい盛りのパピー時代の鹿ちゃんといても、小学生の女の子たちから、
「わたし、こっちの子の方がいい!」と、銀ちゃんが指さされてて、何だか鹿がかわいそうなくらいでした。
鹿ちゃんはパピーの頃から、キリっとしたハンサムくんだったけど、
銀は甘いお顔のアイドル系なので、子供たちに気に入られたんだと思います。
とてもフレンドリーで、散歩のときは、ワンコにも人にも自分からあいさつに行く子で、
誰にでもかわいがられて、「この子はセラピー犬になれるよね?」と言っていました。
ニコニコ顔もかわいかったけど、わたしはちょっと済ましたお顔が好きでした・・・
目をそらさずジッと見つめる子で、何だかドキドキすることも・・ ←アホですね
歩く姿もきれいな子で、いつも顎を上げて胸を張って、シッポも必ず上がってて、
サッサッとシャキシャキ歩いてました。
大人になってからは、地べたを気にすることはほとんどなく、たまにクン活するだけで、
ズンズン前を向いて歩いていました。
ドッグランで走る時も、とてもきれいで・・・我が子ながら見惚れていました。
ララにはあまり仲良くしてもらえなかったけど、
鹿之介には、ほんとうにいいお兄ちゃんになってくれていました。
優しくて・・・鹿ちゃんをとても可愛がってくれていました。
ララが亡くなる前は、銀はどちらかと言えば、大人しい子だったけど、
ララが亡くなった後は、少し我も出てきたのか、要求するときも出てきたりして、
かえってそこもかわいかった・・・
何かして欲しいことがある時は、まん丸に目を見開いて、まっすぐこちらの目を見て、
明るい声で、ワン!ワン!と言っていました。
甘えた鼻声でねだったり、上目遣いでお願いするような感じは全くなくて、
堂々と?意思表示していました。
こういう子って多いんですかね?
ララはわたし達には控えめな子だったし、鹿ちゃんはキュンキュン甘えた声でねだるから、
こういう子って銀次郎だけだったんです。
親バカなわたしは、王子様みたいだと思っていました。
怒ったとこ?なんか見たことないし、嫌なことされそうなときに、噛む真似?みたいなことも、子供の頃からしたことありません。
病院のチックンとかでも、ひたすら耐えて、終わったら「ヒャンヒャン・・・」とベソをかくくらい・・・
ブラッシングなども、嫌な時もあったろうけど、我慢してさせてくれていました。
ネコに近いのかな、ツンデレちゃんで・・・構われたくない時は少し離れたところで寝ていました。
お留守番もちゃんとできる子で・・・
あーでも、福岡から熊本に引っ越してきた時は、もうララがいなくて銀ひとりだったのですが、
最初の頃は、お留守番を嫌がって不安そうにワンワンしてました。直に慣れてくれたけど・・
昨年、今の家に引っ越してきたときは、銀鹿で一緒だったからでしょう、
どちらも、最初からおりこうさんにお留守番していましたが・・・
でもパピーの頃は、毛布やコード噛みちぎったり、それなりのイタズラはしてたなぁ・・・
忘れてました。
写真を撮る時も、ちゃんとステイができる子で・・・あ、ここはララが先生かな・・・
おかげでかわいい写真がいっぱいあります。
おトイレ上手で、引っ越してからもすぐにおトイレ覚えて、鹿にもちゃんと教えてくれました。
昨年から、調子悪くて下痢Pになっても、
二階の寝室にいても、一階のワンコトイレに降りてきて、ちゃんとおトイレでしていました。
おチリが汚れたと思えば、ベッドに上がることなく、わたしが拭いてあげるまで待っていました。
亡くなる日も・・・
もうその頃はみんなで、ワンコトイレがあるリビングに、夜もお布団敷き詰めて一緒に寝てて、
昼間も少し畳んで横に置いてただけで、そこの上やソファで過ごしてたけど、
それでも、自分でおトイレに行って、チッコもウ○チもしていました。
間に合わないこともあるかなと、マナーベルトしてたけど、ほとんど必要なかった・・・
内臓にも出血があったのでしょう、最後はもう、タール便しか出なかったけれど、
それでも自分でトイレシートまで行っていました。
もういいのに・・・身体辛いだろうから、もういいのに・・・見てて切なくなりました。
ほんとにいい子だった・・偉い子でした。
こんなにかわいくていい子が、ウチなんかにきてくれて、
わたし達にはもったいないから・・・もったいなさすぎるから、
早く逝ってしまったのかと、イジケ根性でひねくれたことも考えました。
病気になってしまったからなんだと、頭では分かっているんだけど・・・
初めてワンコのララは、6ヶ月で迎えて、女の子だったせいかその頃からしっかり者で、
そこそこオトナな感じで、わたしにとっては年の離れた妹・・と言う感覚でいましたが、
銀は3ヶ月で迎えて、パピーの頃の銀はお腹壊したり、何かあれば不安そうにしたり・・・
車酔いもしていたし、わたしがちゃんと育てなきゃって頑張らなきゃって思って、
人間の子供がいないわたしを、初めてお母さん気分にさせてくれました。
ワンコだから、先に亡くなってしまうのは分かっていましたが、
息子のような気持ちで、ずっとずっと愛してきました。
人間の子供なら、溺愛しすぎたり甘やかせすぎたりしては、いろいろ問題なのでしょうが、
独り立ちしなくていい、ワンコの息子だし・・・
考えてみると、わたしが銀ちゃん依存症だったと思います。
今までもそうだけど、今後の色んな楽しい計画も、ぜんぶ銀鹿と一緒にいることが前提だったので、
今となっては切ない限りです。
わたしにとって、ほんとにかわいくて大事な大事な銀でした。
ほんと、タガ外れちゃって・・・
同じことを、何回も何回も言っているな・・・
困ったオバサンです。
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