ご報告・・銀次郎のこと⑤ わたしたちの後悔・・
前回書いたように、銀の病気を発見して下さった獣医さんから、
昨秋分かっていても、余命はあまり変わらなかったろうと言われました。
もうその時でもすでに、手術は難しかったであろうし、抗ガン治療も効果は見込めなかったであろうと・・・
それに、ネットで見せてもらった資料にも、
発見できた時には、すでに手遅れであることが多く、
身体に大きな負担をかけて手術や抗癌剤治療を施しても、余命は半年程度と考えられている、
手術後の再発率が高く完治が難しいがんの一種・・
そう書いてあります。
かなり珍しいみたいですが、人間にも血管肉腫と言う病気はあるようで、やはり予後が悪いガンらしいです。
人でさえ、現在もなかなか治療や完治が難しいらしいので、ワンコはもっとでしょう・・・
だから、お別れの時期はあまり変わらなかったのでしょう。 それは納得しています。
滅多にないそんな病魔に襲われてしまった銀が、ほんとに不運で可哀そうだったと思います。
でももし、昨秋、前の獣医さんが見つけてくれていたら・・・
わたしが早めにセカンドオピニオンを実行し、早くに分かっていたのなら・・・
もっと違う過ごし方をしていたと思うのです。
手術や抗ガン治療がほとんど効果がないと言うのなら、
その頃分かったとしても、苦しませるだけの、そんなことはしないという選択をしたかもしれません。
これが発症直後(← いつのことか分かりませんが・・) に、偶然にでも見つかって、まだ手術で取り除けそうなら時期なら、話は別ですが・・・
でも2,3か月前に分かっていたら、そりゃもう辛い時期が長くなるでしょうけど、
その方がずっとずっと良かったと思うんです。
ホスピスってあるじゃないですか・・・
亡くなる日まで、そういう風に過ごさせてあげたかった。
わたし達も、そういう覚悟を持って、最期の時を大切に過ごしていきたかった。
前回書いたけど、前の獣医さんから、お腹が弱くなっているのでと、
チーズやサツマイモ、かつお節やササミまで、とりあえず止めてと言われました。
これらは銀が大好きだったもので、その中でも最も好きだったパンも、あまり上げないでと言われていました。
消化器ケアのドッグフードや、普通のフードでもいいから数種類用意し、
食べたくなるものを見つけて、それをローテーションして食べさせてと言われていました。
わたしも、とにかく早く治したいので、必死に言われるまま、ほとんどフードのみにしていました。
でも不調の原因は心臓にできたガンで、食べ物は直接関係なかったじゃないですか・・・
ほぼ末期がんの状態で、心臓ばかりでなく、きっと消化器系の臓器にも転移してたり、
血液の状態も悪いので、下痢や食欲不振の症状が出てたのじゃないでしょうか。
下痢に血が混じっていることもありましたが、
「まー、血管はちょっとしたことで切れて血がにじんだりするからねー・・」なんて言われて・・
ほんとですかね?
息が荒いこともあって、お腹が痛そうに?お腹を丸めた姿勢になる事もあると言ってたんですがね・・
「腰を痛めたのかな・・」なんて言われてました。
お腹が弱くなってる・・なんてことじゃなかったのに・・・
まもなく亡くなってしまうのなら、まだ少しでも食欲がある内に、食べられるうちに、
好きなものをたくさん食べさせてあげたかった!
食欲なくなってきても、わたし達が食べてるもので、銀が好きなものには、クンクンして欲しそうにしてたこともあったのに・・・
もともとわたしは、あまりたくさん人間の食べ物を上げないタチですが、
余命いくばくかと思えば、それが原因で死期がすごく早まるとかでなければ、
何でも好きなものを好きなだけ、食べさせてあげたかったです。
ドッグランとかに行くと、地べたにはたくさんバイキンもあるから、舐めたりしてお腹を壊すので、
当分の間、ドッグランとかには連れて行かないでと言われていました。
でも関係なかったじゃないですか。
確かにダダーーっと走らなくはなっていましたが、ドッグランでリードを外してランランするのは大好きでした。
クン活したり、他の人の所に愛想をふりまきに行ったり、ウロウロ楽しそうに過ごしていたのに・・・
連れて行かなくなっていました。
道の駅ドッグランも有料の貸し切りも、わたしが一人でも連れて行けるような所がたくさんあったのに・・・
疲れすぎない程度に、連れて行ってあげたかった。
銀が一緒にいることは、当たり前のことと思っていたので、
当たり前のように過ごしてて・・・
もう少しで亡くなってしまうのかもしれないと分かっていれば、
もっと話しかけ、もっと抱っこして、もっと喜びそうなことをして、もっとたくさん写真を撮って・・・
銀との時間を、もっともっと大切に慈しむように過ごして、
銀との最期の数か月を、そんな風に過ごしたかった。
天災や戦争、思いがけない事故などで、大切な家族や友人を急に亡くしたのと同じですね・・・
そりゃもう、辛い思いで過ごすことになるでしょうけど、その方が良かったと思ったんです。
告知から2日で亡くなってしまうのは・・やはり・・・
大きな後悔はそこです。
そして分かっていれば、車中泊やキャンプも行かなかったんじゃないかな・・
とても調子が良さそうな時に、近場に一泊くらいで・・は考えたかもしれないけど、
昼間にちょっとお出かけするくらいにしたと思います。
疲れさせるから・・と言うのもあるけど・・・
キャンピングカーって、狭いけど第二の家みたいな感じになるので、
ホテルとは違って、移動中であっても、家に近い感じで寛げる空間だと思うのですが、
ウチは、ワンコトイレを置いてなくて、頻繁にお外に連れて行っておトイレを済ませていたし、
ララも鹿もそうだけど、キャンカーの中でチッコウ○チって、したがりません。
だけど、銀は調子悪くなってから、夜寝てる間にウ○チしたくなることも多くて、
わたし達が気づかず寝てるから、仕方なかったのでしょう、エントランスドア近くの床にしていることが何回もありました・・・
鹿ちゃんの食糞は、今はしなくなっているけど、それでも気づいたら、
どうしても気になるのでクンクンしたり、ペロッとしてみたりはあって、それはそれでまた困ったけど・・・
家なら、二階の寝室に一緒に寝ていても、一階に降りてワンコトイレでしてたので、
キャンカーの中のように、排便の場所に困ることもなかったでしょう。
鹿ちゃんは、家ではベッド横のゲージの中で寝かせてて、
下りては行けないので、銀も落ち着いてできていただろうし・・・
そこも後悔しているところです。
車中泊やキャンプに行かなくても、お家でゆっくり銀と最後の時間を過ごせばよかった。
銀はほんとにおトイレ上手で、亡くなるその日まで、チッコもウ○チも、
自分で歩いてワンコトイレまで行って済ませていました。 外すことすらなかったです。
亡くなる2日前告知されてからは、、夜も一階のリビングにお布団敷いて、みんなで寝てて、
階段の上り下りもしないようにしていましたが・・・
分かっていたら、辛い時間が長かったとは思うけど、
こんな後悔の気持ちは無かったと思います。
ララが亡くなった時は16才で、最後の看取りも覚悟してできたし、
かわいいおばあちゃんになってくれてからお空に行ったので、後悔なんか何もないと思ったけれど・・・
今回は後悔ばかりで、思うたびに泣けてきます。

亡くなって荼毘に付した日、とにかく銀に話しかける所が欲しくて、スマホに入ってるデータでプリントしてきた写真・・・
わたしは、銀の好きな表情って、ちょっと済ましたお顔なのですが、
主人は笑った顔がいいと言うので、とりあえずこれを選びました。
割と最近の写真で、もうだいぶタレ目になっていて、かわいいお顔です・・・
今回はここまでにさせてください。
次は、残された鹿之介のことを書きたいと思います。
昨秋分かっていても、余命はあまり変わらなかったろうと言われました。
もうその時でもすでに、手術は難しかったであろうし、抗ガン治療も効果は見込めなかったであろうと・・・
それに、ネットで見せてもらった資料にも、
発見できた時には、すでに手遅れであることが多く、
身体に大きな負担をかけて手術や抗癌剤治療を施しても、余命は半年程度と考えられている、
手術後の再発率が高く完治が難しいがんの一種・・
そう書いてあります。
かなり珍しいみたいですが、人間にも血管肉腫と言う病気はあるようで、やはり予後が悪いガンらしいです。
人でさえ、現在もなかなか治療や完治が難しいらしいので、ワンコはもっとでしょう・・・
だから、お別れの時期はあまり変わらなかったのでしょう。 それは納得しています。
滅多にないそんな病魔に襲われてしまった銀が、ほんとに不運で可哀そうだったと思います。
でももし、昨秋、前の獣医さんが見つけてくれていたら・・・
わたしが早めにセカンドオピニオンを実行し、早くに分かっていたのなら・・・
もっと違う過ごし方をしていたと思うのです。
手術や抗ガン治療がほとんど効果がないと言うのなら、
その頃分かったとしても、苦しませるだけの、そんなことはしないという選択をしたかもしれません。
これが発症直後(← いつのことか分かりませんが・・) に、偶然にでも見つかって、まだ手術で取り除けそうなら時期なら、話は別ですが・・・
でも2,3か月前に分かっていたら、そりゃもう辛い時期が長くなるでしょうけど、
その方がずっとずっと良かったと思うんです。
ホスピスってあるじゃないですか・・・
亡くなる日まで、そういう風に過ごさせてあげたかった。
わたし達も、そういう覚悟を持って、最期の時を大切に過ごしていきたかった。
前回書いたけど、前の獣医さんから、お腹が弱くなっているのでと、
チーズやサツマイモ、かつお節やササミまで、とりあえず止めてと言われました。
これらは銀が大好きだったもので、その中でも最も好きだったパンも、あまり上げないでと言われていました。
消化器ケアのドッグフードや、普通のフードでもいいから数種類用意し、
食べたくなるものを見つけて、それをローテーションして食べさせてと言われていました。
わたしも、とにかく早く治したいので、必死に言われるまま、ほとんどフードのみにしていました。
でも不調の原因は心臓にできたガンで、食べ物は直接関係なかったじゃないですか・・・
ほぼ末期がんの状態で、心臓ばかりでなく、きっと消化器系の臓器にも転移してたり、
血液の状態も悪いので、下痢や食欲不振の症状が出てたのじゃないでしょうか。
下痢に血が混じっていることもありましたが、
「まー、血管はちょっとしたことで切れて血がにじんだりするからねー・・」なんて言われて・・
ほんとですかね?
息が荒いこともあって、お腹が痛そうに?お腹を丸めた姿勢になる事もあると言ってたんですがね・・
「腰を痛めたのかな・・」なんて言われてました。
お腹が弱くなってる・・なんてことじゃなかったのに・・・
まもなく亡くなってしまうのなら、まだ少しでも食欲がある内に、食べられるうちに、
好きなものをたくさん食べさせてあげたかった!
食欲なくなってきても、わたし達が食べてるもので、銀が好きなものには、クンクンして欲しそうにしてたこともあったのに・・・
もともとわたしは、あまりたくさん人間の食べ物を上げないタチですが、
余命いくばくかと思えば、それが原因で死期がすごく早まるとかでなければ、
何でも好きなものを好きなだけ、食べさせてあげたかったです。
ドッグランとかに行くと、地べたにはたくさんバイキンもあるから、舐めたりしてお腹を壊すので、
当分の間、ドッグランとかには連れて行かないでと言われていました。
でも関係なかったじゃないですか。
確かにダダーーっと走らなくはなっていましたが、ドッグランでリードを外してランランするのは大好きでした。
クン活したり、他の人の所に愛想をふりまきに行ったり、ウロウロ楽しそうに過ごしていたのに・・・
連れて行かなくなっていました。
道の駅ドッグランも有料の貸し切りも、わたしが一人でも連れて行けるような所がたくさんあったのに・・・
疲れすぎない程度に、連れて行ってあげたかった。
銀が一緒にいることは、当たり前のことと思っていたので、
当たり前のように過ごしてて・・・
もう少しで亡くなってしまうのかもしれないと分かっていれば、
もっと話しかけ、もっと抱っこして、もっと喜びそうなことをして、もっとたくさん写真を撮って・・・
銀との時間を、もっともっと大切に慈しむように過ごして、
銀との最期の数か月を、そんな風に過ごしたかった。
天災や戦争、思いがけない事故などで、大切な家族や友人を急に亡くしたのと同じですね・・・
そりゃもう、辛い思いで過ごすことになるでしょうけど、その方が良かったと思ったんです。
告知から2日で亡くなってしまうのは・・やはり・・・
大きな後悔はそこです。
そして分かっていれば、車中泊やキャンプも行かなかったんじゃないかな・・
とても調子が良さそうな時に、近場に一泊くらいで・・は考えたかもしれないけど、
昼間にちょっとお出かけするくらいにしたと思います。
疲れさせるから・・と言うのもあるけど・・・
キャンピングカーって、狭いけど第二の家みたいな感じになるので、
ホテルとは違って、移動中であっても、家に近い感じで寛げる空間だと思うのですが、
ウチは、ワンコトイレを置いてなくて、頻繁にお外に連れて行っておトイレを済ませていたし、
ララも鹿もそうだけど、キャンカーの中でチッコウ○チって、したがりません。
だけど、銀は調子悪くなってから、夜寝てる間にウ○チしたくなることも多くて、
わたし達が気づかず寝てるから、仕方なかったのでしょう、エントランスドア近くの床にしていることが何回もありました・・・
鹿ちゃんの食糞は、今はしなくなっているけど、それでも気づいたら、
どうしても気になるのでクンクンしたり、ペロッとしてみたりはあって、それはそれでまた困ったけど・・・
家なら、二階の寝室に一緒に寝ていても、一階に降りてワンコトイレでしてたので、
キャンカーの中のように、排便の場所に困ることもなかったでしょう。
鹿ちゃんは、家ではベッド横のゲージの中で寝かせてて、
下りては行けないので、銀も落ち着いてできていただろうし・・・
そこも後悔しているところです。
車中泊やキャンプに行かなくても、お家でゆっくり銀と最後の時間を過ごせばよかった。
銀はほんとにおトイレ上手で、亡くなるその日まで、チッコもウ○チも、
自分で歩いてワンコトイレまで行って済ませていました。 外すことすらなかったです。
亡くなる2日前告知されてからは、、夜も一階のリビングにお布団敷いて、みんなで寝てて、
階段の上り下りもしないようにしていましたが・・・
分かっていたら、辛い時間が長かったとは思うけど、
こんな後悔の気持ちは無かったと思います。
ララが亡くなった時は16才で、最後の看取りも覚悟してできたし、
かわいいおばあちゃんになってくれてからお空に行ったので、後悔なんか何もないと思ったけれど・・・
今回は後悔ばかりで、思うたびに泣けてきます。

亡くなって荼毘に付した日、とにかく銀に話しかける所が欲しくて、スマホに入ってるデータでプリントしてきた写真・・・
わたしは、銀の好きな表情って、ちょっと済ましたお顔なのですが、
主人は笑った顔がいいと言うので、とりあえずこれを選びました。
割と最近の写真で、もうだいぶタレ目になっていて、かわいいお顔です・・・
今回はここまでにさせてください。
次は、残された鹿之介のことを書きたいと思います。
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