花菖蒲と勝負じゃーーーっ
先日、地元の老人会のお客様と長崎方面へ行きましたよ~
まず、大村公園に「花菖蒲」を見に行きました
大村公園は、お城跡で、大村桜っていう八重桜でも有名です
花びらが100枚以上あるそうですよ~
でも、今回は、花菖蒲を見に行きました・・・
添乗員さん情報によると、3分咲きってことでしたが・・・

おぉ~~~・・・ けっこう咲いてるじゃないですか・・・
満開には遠いですけど、咲き初めって、いい感じ・・・
ここには、10万株30万本も、あるのだそうです

品があって、ステキでした~
もうちょっと上手に撮れるといいんだけど・・・
「菖蒲」って書いて、
「しょうぶ」って読んだり、「あやめ」って読んだり、
似た花で「かきつばた(杜若)」っていうのもありますよね・・・
ちょっと調べてみると、大きさが違ったり、
花びらの付け根の模様が違ったり、育つ環境が違うみたいですね~
これは、「しょうぶ」なのだそうですよ
「いずれが、あやめか、かきつばた」って言いますよね~
同じくらい美しいって、たとえなんですよね~

どっちでもねーよっ・・・
次の日は、「浦頭引揚記念平和公園」にも、行きました・・・



それって、何?って感じかもしれませんが、
太平洋戦争が終わって、
国外にいた、日本人が帰国するのを「引揚げ」と言ったそうです。
軍人さんばかりでなく、その家族や、軍人以外の方も、
たくさん、いらっしゃったそうです・・・
色んな理由で、栄養失調や怪我をしてたり、病気だったり、
戦争に負けて落胆しているばかりか、財産も失い、
命からがら、やっと帰国された港の一つが、
長崎の「浦頭港」ということで、
それを見下ろす高台に、公園や資料館が整備されているのです

この資料館の中には引揚者の方々の写真が・・・

帰郷するために、近くの駅まで歩いたのですね~
疲れた足をひきずって・・・
中には、小さなお子さんも・・・

上陸して、検疫を受け、消毒剤を頭からかけられて、
宿舎のある援護局という所まで、7キロも歩いたそうです。
そこで2、3日過ごして最寄の駅まで、また歩いて・・・
はぁ・・・・・・ ためいきが出ます・・・
帰国するまでも、つらかったでしょうに・・・
空腹なだけでなく、伝染病も蔓延したそうですし、
何より、捕まって抑留されたりしないかと恐怖だったでしょうし・・・
こんな感じで、昭和25年までに、140万人の方々が、
この港から、入国なさったそうですよ~
今は、こんな感じになってます・・・

昔も今も、佐世保湾に続くきれいな入り江ですね~
何年か前に、関東からのツアーのお客様を案内してたら、
「浦頭に、引揚げてきました。」とおっしゃる方がいらっしゃいました。
もちろん、そうとうなお年でしたが、お元気な男性でした。
ココに立ち寄るコースではなかったので、前を通過する時、
食い入るように見ていらっしゃったのを思い出します・・・

公園内にある、高さ7メートルの女神像です~
引揚者の方々を守るのだそうです・・・
何とか、生きて帰れた方は、いいほうで、
遺体や遺骨で帰られた方も、いらっしゃったそうなので、
冥福を祈るためも、あるのでしょうね・・・
公園内に、位置関係を示す看板がありました

宿舎のある援護局が、今では、ハウステンボスなんですから、
60年の月日って、短いようで、長いのですね~
何だか、感無量でした・・・
戦争の悲劇って、ホントいーーーっぱいあるんだな~~

これも、忘れてはいけない歴史ですね・・・
でも、この引揚げていらっしゃった方々が、
「ラーメン」や「焼き餃子」を、日本に、もたらして下さったのですよね
あ、そうそう・・・ 「辛子明太子」も・・・
ありがたい事です
この頃、少し忙しかったので、ブログも亀更新・・・
あんまり泊まりに出ちゃうと、ララからスネられるかと思いきや、
そうでもなく、元気にお出迎え・・・

ありがとね~~~
やさしいね~~~

あ、やっぱし私って遊び相手って感じィ~
お仕事、ヒマになるまで、もうちょっと待っててね~
どっか、遊びに連れてくからね~
まず、大村公園に「花菖蒲」を見に行きました

大村公園は、お城跡で、大村桜っていう八重桜でも有名です

花びらが100枚以上あるそうですよ~
でも、今回は、花菖蒲を見に行きました・・・
添乗員さん情報によると、3分咲きってことでしたが・・・

おぉ~~~・・・ けっこう咲いてるじゃないですか・・・
満開には遠いですけど、咲き初めって、いい感じ・・・
ここには、10万株30万本も、あるのだそうです


品があって、ステキでした~
もうちょっと上手に撮れるといいんだけど・・・

「菖蒲」って書いて、
「しょうぶ」って読んだり、「あやめ」って読んだり、
似た花で「かきつばた(杜若)」っていうのもありますよね・・・
ちょっと調べてみると、大きさが違ったり、
花びらの付け根の模様が違ったり、育つ環境が違うみたいですね~
これは、「しょうぶ」なのだそうですよ

「いずれが、あやめか、かきつばた」って言いますよね~
同じくらい美しいって、たとえなんですよね~

どっちでもねーよっ・・・

次の日は、「浦頭引揚記念平和公園」にも、行きました・・・



それって、何?って感じかもしれませんが、
太平洋戦争が終わって、
国外にいた、日本人が帰国するのを「引揚げ」と言ったそうです。
軍人さんばかりでなく、その家族や、軍人以外の方も、
たくさん、いらっしゃったそうです・・・
色んな理由で、栄養失調や怪我をしてたり、病気だったり、
戦争に負けて落胆しているばかりか、財産も失い、
命からがら、やっと帰国された港の一つが、
長崎の「浦頭港」ということで、
それを見下ろす高台に、公園や資料館が整備されているのです


この資料館の中には引揚者の方々の写真が・・・


帰郷するために、近くの駅まで歩いたのですね~
疲れた足をひきずって・・・
中には、小さなお子さんも・・・

上陸して、検疫を受け、消毒剤を頭からかけられて、
宿舎のある援護局という所まで、7キロも歩いたそうです。
そこで2、3日過ごして最寄の駅まで、また歩いて・・・
はぁ・・・・・・ ためいきが出ます・・・

帰国するまでも、つらかったでしょうに・・・
空腹なだけでなく、伝染病も蔓延したそうですし、
何より、捕まって抑留されたりしないかと恐怖だったでしょうし・・・
こんな感じで、昭和25年までに、140万人の方々が、
この港から、入国なさったそうですよ~
今は、こんな感じになってます・・・


昔も今も、佐世保湾に続くきれいな入り江ですね~
何年か前に、関東からのツアーのお客様を案内してたら、
「浦頭に、引揚げてきました。」とおっしゃる方がいらっしゃいました。
もちろん、そうとうなお年でしたが、お元気な男性でした。
ココに立ち寄るコースではなかったので、前を通過する時、
食い入るように見ていらっしゃったのを思い出します・・・

公園内にある、高さ7メートルの女神像です~

引揚者の方々を守るのだそうです・・・
何とか、生きて帰れた方は、いいほうで、
遺体や遺骨で帰られた方も、いらっしゃったそうなので、
冥福を祈るためも、あるのでしょうね・・・
公園内に、位置関係を示す看板がありました


宿舎のある援護局が、今では、ハウステンボスなんですから、
60年の月日って、短いようで、長いのですね~
何だか、感無量でした・・・
戦争の悲劇って、ホントいーーーっぱいあるんだな~~


これも、忘れてはいけない歴史ですね・・・
でも、この引揚げていらっしゃった方々が、
「ラーメン」や「焼き餃子」を、日本に、もたらして下さったのですよね

あ、そうそう・・・ 「辛子明太子」も・・・

ありがたい事です

この頃、少し忙しかったので、ブログも亀更新・・・
あんまり泊まりに出ちゃうと、ララからスネられるかと思いきや、
そうでもなく、元気にお出迎え・・・


ありがとね~~~



あ、やっぱし私って遊び相手って感じィ~

お仕事、ヒマになるまで、もうちょっと待っててね~
どっか、遊びに連れてくからね~

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