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The precious Ginjiro

ご報告・・銀次郎のこと⑨ 愛する銀次郎へ・・

その日・・・
お正月休みの最後の方で、主人も家にいたし、わたしも買い物などで出ることなく、
その時もリビングで、鹿と一緒にずっと銀を見守っていました。

身を横たえている銀に、鹿ちゃんは機嫌をうかがうように口元をペロペロしたり、
甘えた声で、遊んでとせがんでみたり・・・
もちろん、銀はそれに応えられるわけもなく、でも怒ったりもしなかったです・・・できなかったかな・・

わたしが、「銀ちゃん・・」と言いながら顔を寄せると、ペロッと舐めてくれて・・・
その舌の温度が冷たくて・・・

あぁ、これはもう体温がすごく下がってしまっているんだなぁ・・・
きっととても寒いだろう・・・お白湯を飲ませてあげようと、キッチンに立ったら、
その方向を追おうとしたのか、敷きっぱなしの布団から、ソファに上がろうとして上がれず・・・

慌てて抱き上げてソファに寝かせ、 ぎん・・・と呼んでみたけれど、
ソファに上がろうと、力を込めて、ボロボロになってる身体に何か無理があったのかもしれません。

その様子が、もうこれは・・・と感じたので、二階にいた主人を急いで呼んで、
鹿も一緒に、みんなで名前を呼びながら、顔や身体をなでながら
その時を迎えました。
みんな一緒に寄り添って旅立たせることができて、せめてよかった・・と思っています。

告知を受けて、たった2日だったけど、発見してくれた獣医さんが、
もしかしたら2,3日でも・・・と言って下さったので、そうやって見送ることができたと思います。
感謝しています。

それと・・・
わたし達に、こんなにかわいい銀を託して下さった中村ブリーダーさんにも、感謝しています。
いつもお聞きすれば、どんな事でもアドバイスを下さる、ありがたい師匠でもありました。
それなのに長生きさせられなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。


わたしは、神様仏様が存在してるとか、そういうこと信じてはいないし、
たましい・・・とかも信じてなくて、あの世も来世も、あるとは全然思わない人間ですが・・・

でももし、銀ともう一度会えることがあるのだとしたら、それがあの世や来世だと言うなら、
今すぐにでも無条件にそれを信じ、その日を心待ちにします。


銀に会いたいです。

でも、いますぐにでも会いたいけど、それが叶わないから、
これからは、きれいな月を見れば銀と思い、夕日を見れば銀と思い、
山を見たら、空を見たら、きれいな花を見たら・・・
ぜんぶ銀と思って見ることにします。  ← 親バカ極まってますね・・

テレビを見て、ワンコや馬が出てきたら、ワンワン文句を言う子がいなくなって、寂しいです・・
ウチ一番のお寝坊さんで、寝室から一番遅く出て階段の上で立ち止まってるのを、
下から鹿ちゃんと待ってるのが毎朝のルーティンだったので、今も見上げてしまいます。
わたし達のベッドの足元で寝てたので、あれからは足元がスカスカして心もとないです。

車では、カーブになったら不安になって、わたしにギューッと体を押し付けてきてたのに、
鹿ちゃんはそんなことしないし、いちいち抱きしめることがなくなってしまいました。
散歩前になったら、銀鹿ふたりでワンワン騒いでいたのに、鹿ひとりになってだいぶ静かです・・
散歩に出ても鹿ちゃんひとりだから、歩くのもウ○チ拾いもラク過ぎて・・

鹿ちゃんとのイチャコラも、ケンカ遊びもなくなって・・ほんとに静かで・・
いつも澄ましたお顔で、ソファで優雅に寛いでいた銀の姿がない・・・

そういうこと一つ一つが、いちいち寂しいんですよね・・・
もう仕方ないとあきらめなきゃいけないんだけど・・



亡くなってしばらくして、チョークアートを描いてくださるsabu工房さんにお願いし、
急だったけど、銀次郎を描いていただきました。

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まだ若いころの銀ですが、とても好きな写真をもとに描いていただきました。
明るい笑顔が、ホントにかわいいです。
今はリビングに飾っていますが、キャンプの時は持って行って、サイトに飾りたいと思っています。

もう何年も前に、まだララも生きている頃に、一緒に描いてもらったのも、大切に飾ってあります。

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1,2年後かな、鹿がフルコートになったら、今度は銀鹿で描いてもらおうと思っています。
絵なら、大人になった鹿と、銀次郎を一緒に描いてもらえますもんね。


寂しい辛いと嘆くばかりで、銀に感謝の言葉を言ってないと気づきました。

最後に・・・


愛する銀ちゃんへ

もっと長くあなたと過ごしたかったです。
早く気づいてあげられなくて、ほんとうにごめんなさい。

8年間あなたと家族になれて、わたし達はとても幸せでした。
うちの息子になってくれて本当に本当にありがとう。


忘れずに書けて良かったです。


銀次郎のご報告は、これで終わります。
こんな暗い記事で、何度も同じことを言うだけのオバサンの悔みごとなのに、
それを読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます。

拍コメやLINEなどで、暖かいお言葉をかけて下さり、お悔やみのお言葉を頂き、
ほんとうにありがたかったです。

銀が本当にいたのか、分からなくなってしまったことがあったと書きましたが、
同じような思いをされたとか、すごく分かる気がすると言って下さる方が多くいらして、
あの感覚は、自分だけじゃなかったんだと思い、安心しました。

そして、色んなメッセージを頂き、銀は愛されてたなーと感じ、とても嬉しかったです。

最初から書けばよかったですが、ララの時と同じように、
お供えお供花は、遠慮させて頂きたいと思っております。
なかなかご報告できなかったので、もう3ヶ月以上たってますし・・・
お言葉を頂くだけで、本当にありがたいです。

ブログは・・・
もう少したって、銀のことも、辛くなく話せるようになったころ、
鹿とのキャンプや車中泊、銀のこと、ララとの思い出なども入れて記事にできるようになって、
再開できればと思います。
その折はまた、どうぞよろしくお願いします。

















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ご報告・・銀次郎のこと⑧ すっかりタガが外れた親バカのタワごと

銀次郎の報告も、今回でもうすでに8回目・・・

ワンコを亡くしたからと言って、あまりにもセンチメンタルすぎるとか、
こんなにクドクドと、よくいろいろ書けるもんだとか、大げさとか、
そういう風に思われる方がおられるのは、もちろん承知しています。

こうやって書きだしてみると、自分でも驚くくらいに、
言いたいこと書き残したいこと、思ったことが、ズラズラと湧いてきて、
それを書き連ねていたら、こうなっていました。

だから、どなたにも読んでいただけなくても、呆れられても仕方ない、
それでも、どうか最後まで書かせてもらいたいと思っています。

でも、だからと言って自分の気持ちは・・・
ショックはちっとも癒えないし、今も想いだしては、ため息をつく日々に変わらないのだけれど・・・
少しは整理はつき始めたのかなと思ったりします。

今回は特に、だいぶおかしくなったバカ親が、言いたい事を言っていると思って下さい。
どうぞスルーしてくださいね・・・

銀は、パピーの頃はもちろん、8才になってもとにかくかわいくて美しい子でした。
自慢のコートやミミゲーは、3才の頃がいちばんゴージャスでしたが、
少しボリュームが減ってきても、それはそれで優雅な感じになったと思っていました。

末広がりに、滝のように流れるシッポちゃんを見ながら歩くのが大好きでした。

ブレーズが広めで優しい表情で、タンマークとまん丸お目目のアイドル顔が、
ほんとに可愛くて大好きでした。

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鹿ちゃんが3ヶ月過ぎて、一緒にお散歩行くようになっても、
かわいい盛りのパピー時代の鹿ちゃんといても、小学生の女の子たちから、
「わたし、こっちの子の方がいい!」と、銀ちゃんが指さされてて、何だか鹿がかわいそうなくらいでした。

鹿ちゃんはパピーの頃から、キリっとしたハンサムくんだったけど、
銀は甘いお顔のアイドル系なので、子供たちに気に入られたんだと思います。

とてもフレンドリーで、散歩のときは、ワンコにも人にも自分からあいさつに行く子で、
誰にでもかわいがられて、「この子はセラピー犬になれるよね?」と言っていました。

ニコニコ顔もかわいかったけど、わたしはちょっと済ましたお顔が好きでした・・・
目をそらさずジッと見つめる子で、何だかドキドキすることも・・ ←アホですね

歩く姿もきれいな子で、いつも顎を上げて胸を張って、シッポも必ず上がってて、
サッサッとシャキシャキ歩いてました。
大人になってからは、地べたを気にすることはほとんどなく、たまにクン活するだけで、
ズンズン前を向いて歩いていました。

ドッグランで走る時も、とてもきれいで・・・我が子ながら見惚れていました。

ララにはあまり仲良くしてもらえなかったけど、
鹿之介には、ほんとうにいいお兄ちゃんになってくれていました。
優しくて・・・鹿ちゃんをとても可愛がってくれていました。

ララが亡くなる前は、銀はどちらかと言えば、大人しい子だったけど、
ララが亡くなった後は、少し我も出てきたのか、要求するときも出てきたりして、
かえってそこもかわいかった・・・

何かして欲しいことがある時は、まん丸に目を見開いて、まっすぐこちらの目を見て、
明るい声で、ワン!ワン!と言っていました。
甘えた鼻声でねだったり、上目遣いでお願いするような感じは全くなくて、
堂々と?意思表示していました。 

こういう子って多いんですかね?
ララはわたし達には控えめな子だったし、鹿ちゃんはキュンキュン甘えた声でねだるから、
こういう子って銀次郎だけだったんです。
親バカなわたしは、王子様みたいだと思っていました。

怒ったとこ?なんか見たことないし、嫌なことされそうなときに、噛む真似?みたいなことも、子供の頃からしたことありません。
病院のチックンとかでも、ひたすら耐えて、終わったら「ヒャンヒャン・・・」とベソをかくくらい・・・

ブラッシングなども、嫌な時もあったろうけど、我慢してさせてくれていました。
ネコに近いのかな、ツンデレちゃんで・・・構われたくない時は少し離れたところで寝ていました。
お留守番もちゃんとできる子で・・・

あーでも、福岡から熊本に引っ越してきた時は、もうララがいなくて銀ひとりだったのですが、
最初の頃は、お留守番を嫌がって不安そうにワンワンしてました。直に慣れてくれたけど・・
昨年、今の家に引っ越してきたときは、銀鹿で一緒だったからでしょう、
どちらも、最初からおりこうさんにお留守番していましたが・・・

でもパピーの頃は、毛布やコード噛みちぎったり、それなりのイタズラはしてたなぁ・・・
忘れてました。

写真を撮る時も、ちゃんとステイができる子で・・・あ、ここはララが先生かな・・・
おかげでかわいい写真がいっぱいあります。

おトイレ上手で、引っ越してからもすぐにおトイレ覚えて、鹿にもちゃんと教えてくれました。
昨年から、調子悪くて下痢Pになっても、
二階の寝室にいても、一階のワンコトイレに降りてきて、ちゃんとおトイレでしていました。
おチリが汚れたと思えば、ベッドに上がることなく、わたしが拭いてあげるまで待っていました。

亡くなる日も・・・
もうその頃はみんなで、ワンコトイレがあるリビングに、夜もお布団敷き詰めて一緒に寝てて、
昼間も少し畳んで横に置いてただけで、そこの上やソファで過ごしてたけど、
それでも、自分でおトイレに行って、チッコもウ○チもしていました。

間に合わないこともあるかなと、マナーベルトしてたけど、ほとんど必要なかった・・・

内臓にも出血があったのでしょう、最後はもう、タール便しか出なかったけれど、
それでも自分でトイレシートまで行っていました。
もういいのに・・・身体辛いだろうから、もういいのに・・・見てて切なくなりました。

ほんとにいい子だった・・偉い子でした。

こんなにかわいくていい子が、ウチなんかにきてくれて、
わたし達にはもったいないから・・・もったいなさすぎるから、
早く逝ってしまったのかと、イジケ根性でひねくれたことも考えました。
病気になってしまったからなんだと、頭では分かっているんだけど・・・

初めてワンコのララは、6ヶ月で迎えて、女の子だったせいかその頃からしっかり者で、
そこそこオトナな感じで、わたしにとっては年の離れた妹・・と言う感覚でいましたが、
銀は3ヶ月で迎えて、パピーの頃の銀はお腹壊したり、何かあれば不安そうにしたり・・・
車酔いもしていたし、わたしがちゃんと育てなきゃって頑張らなきゃって思って、
人間の子供がいないわたしを、初めてお母さん気分にさせてくれました。

ワンコだから、先に亡くなってしまうのは分かっていましたが、
息子のような気持ちで、ずっとずっと愛してきました。
人間の子供なら、溺愛しすぎたり甘やかせすぎたりしては、いろいろ問題なのでしょうが、
独り立ちしなくていい、ワンコの息子だし・・・

考えてみると、わたしが銀ちゃん依存症だったと思います。


今までもそうだけど、今後の色んな楽しい計画も、ぜんぶ銀鹿と一緒にいることが前提だったので、
今となっては切ない限りです。

わたしにとって、ほんとにかわいくて大事な大事な銀でした。


ほんと、タガ外れちゃって・・・
同じことを、何回も何回も言っているな・・・
困ったオバサンです。














ご報告・・銀次郎のこと⑦ 銀を拾いに行く旅・・

銀を亡くしてひと月たった2月の最初の頃・・・

まだまだ悲しみは癒えるはずもなく、でも月日は過ぎていって・・・

亡くなって少したった頃から、なぜか・・・
銀はほんとにいたのだろうかと言うような、ほんとに8年一緒にいたのだろうかと言うような、
奇妙な気がしていました。

もちろんいたのは分かっているのですが、極端に言うと、夢だったのではないかと言うような、
ホントに変な感情でした。
どうしてだろう・・どうしてだろうと、すごく不思議でした。

だからなのか、銀と最後に行った車中泊の旅先に、銀を置いてきてしまったような、
忘れ物をしてしまったような、何だかそんな変な気持ちがしていて・・

まさかその一週間後に、銀を亡くしてしまうなんて、その時思いもしていなかったので、
なんと言うか、どう表現したらいいのか分からないけど・・・
あそこにまだ銀次郎がいるんじゃないかというような、おかしな気持ちになったと言うか・・・

オバサンにしては、センチメンタルすぎる言い様だと言われるでしょうが、
ほんとにそう思いました。
銀は実際いたのだろうかと言う思いで混乱して、ちょっとおかしくなったかな・・
ほんと、年の取りがいのないオバサンだと自覚しています。

あきらめられなくて、主人に、銀次郎を拾いに行こうと言ったら理解してくれて、
祝日を絡ませて3,4日の休暇を取ってもらい、車中泊に出ました。


何度も辿った、鹿児島方面への道のりですが、
なるべく今まで立ち寄ったような所に、なるべく立ち寄るようにして、
その時のことを思い出しながら、ふたりで話しながら、鹿に話してあげながら・・・

銀とはもう何回も、キャンプや車中泊に出ていますが、
0才の銀と、初の連泊キャンプに行ったのも鹿児島で、その頃よく行っていた
「開聞山麓公園キャンプ場」に、立ち寄ってみました。

その頃はもちろん、ララも一緒でまだ前のキャンカーでした・・・
その時、銀が・・・
わたし達が設営している間、なぜか銀は、サイトの前にオスワリして、
正面に見えている開聞岳を、ジーッと長い間眺めていました。

微動だにしないので、何か怖がっているのかと様子を見ても、震えるわけでもなく、
他の人やワンコを目で追うわけでもなく・・・
ただひたすら、目の前にそびえる開聞岳を見つめていました。

とても不思議だったけど・・・
その背中は、まだ小さく幼くてかわいくて・・・その姿も目に焼き付いています。

そのサイトに行って、銀が見つめたアングルで、開聞岳を見たかったのです。
ずっと雨が降り続いて、ようやくの雨上がり、曇天ではありましたが・・・

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銀は何を思って見つめていたんだろう・・・そう思って見たけれど・・・分からなかった・・・
でも、その時のこと、ララ銀のこと、いろいろたくさん思い出しました。

この時、今は大事なお友達になったアトム家のみんなと、ここで初めて会ったのです。
アトムくんも、まだまだ元気でした・・・

ブログを見てくれていたアトムままが、「あなたが銀ちゃんですか・・」と言いながら、
ニコニコして銀を撫でてくれたことも・・・

その後は指宿に移動して、最後にキャンプしたいつものキャンプ場にも行きました。

銀の写真を持ち、4にん一緒に写真を撮ったり・・・

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いつも散歩した海辺を歩いたり・・・

考えてみたら、これからいつでも撮れると思うからか、
わたし達と銀鹿とみんな一緒に撮った写真って、この時はホントに数少なくて・・・

特に銀がなんか具合悪くなってから、あまり写真を撮ることも少なくなってて・・・
なんと言うか、しっかり治ってからいっぱい撮ろうと言うような気持ちでしたから。

後で写真を見て、いろいろ思い出すってよくあるけど、写真自体をあまり撮ってないので、
最後のキャンプの時のことを、あまり過去にならないうちに行って、しっかり思い出しておこうと言うような、そんな思いもあったのかもしれません。

ここにもほんとによく行った・・・銀ともたくさんの思い出がある所です。

一晩泊って、最後の車中泊の時と同じく、桜島フェリーに乗って、
桜島の有村溶岩展望所に寄りました。

年末年始の時は、アトムぱぱままが一緒だったので、銀鹿を抱っこしてもらって撮ったり、
わたし達が抱っこして撮ってもらったりしました。

この一週間後に、銀を亡くすとは・・思いもしてなかった・・・

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今回は自分たちだけで、銀もいないから、わたしと鹿だけ撮りました。

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桜島を見たら、銀みたいな気がしてきた・・・ もうほんとに病気です・・・

最後に車中泊した道の駅などに寄って、最後にお散歩したところをまたお散歩して・・・
そうやって帰ってきました。

結論から言うと、こうやって後をたどってみたからと言って、何か癒えるわけではありませんでした。

ただ、銀と言う忘れ物を拾いに行ったのではなく、
銀との思い出を拾う・・と言うか、
銀と一緒に来たところを訪れて、記憶の中の銀に会いに行ったんだと思いました。

わずか8年でしたが、銀と一緒に、色んな所に出掛けました。
キャンプも多いので、同じ場所もたくさんありますが、これからもその一つ一つを訪ねて、
銀に、たくさん会いに行きたいです。















ご報告・・銀次郎のこと⑥ 残された鹿ちゃん・・

銀次郎を急に亡くして、わたし達はすごい喪失感や寂しさに耐えかねていますが、
一番かわいそうなのは、鹿之介なんだと思います。

鹿ちゃんをお迎えしたのは、まだ2ヶ月半の頃・・・
会ってすぐ抱っこしたときは、少し震えていた鹿でしたが、すぐ慣れて大人しく抱っこされたまま、
家まで帰ってきました。

でもきっと不安だったに違いないですよね・・・

家に入って銀を見つけた途端、「わ、お兄ちゃんいる!」って感じで、鹿ちゃんは大喜びでした。
明らかに、わたし達と会った時とは違い、嬉しそうに飛び跳ねていて、
わたし達のことなど、眼中にないようでした。

そりゃそうですよねぇ・・
パパママ、兄弟姉妹、他にも生まれた時から身近にいたパピヨンちゃん達と、
一緒に暮らしていた場所から、いきなり引き離されて・・・
知らないオジサンオバサンに抱っこされて、初めての車で初めての家に連れてこられ・・・

そこに同じワンコ族の先輩がいて、ホッとしたろうし嬉しかったに違いない・・・

最初こそは、少し戸惑った態度の銀も、とにかく懐いてくる鹿を、
すぐに受け入れ、優しく遊んでやり、たまにはお兄ちゃん風を吹かせたりして、
たったふたりだけど、家の中でワンコ社会を築いてくれました。

ララは、銀を迎えた時、すごい剣幕で怒って・・銀も怖がってキャンキャン泣いたりして・・
最後まで姉弟って感じじゃなくて、あんまり干渉しあわない同居犬・・って感じだったけど、
銀鹿は、ほんとうに兄弟のように仲良く暮らしていました。

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鹿もとにかく、銀のあとを追って慕ってる感じで、
銀も7才だから、遊びも面倒なこともあったろうに、ちゃんと相手をしてケンカごっこしたり・・・
ペロペロ舐めてお手入れみたいなことをしてあげたり・・・

それはもうほんとに、仲睦まじくて・・・そう言う姿に憧れて、多頭にしたいと思っていたので、
夢がかなってすごく嬉しくて、幸せな時間でした。

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今思えば、体調が悪くなってきて、遊んであげるのはだんだん少なくなってきてたけど、
ペロペロイチャイチャは、亡くなってしまうほんの数日前まであって・・・
体もしんどかったろうに・・・


鹿は、銀が亡くなった時も、わたし達と一緒にそばで見守っていたけれど、
銀が亡くなったと認識できているのか・・・
家の中を探して回るような行動はしませんでした。

でもなぜか、キャンカーに乗ると・・・銀がよくいた場所を、確認している感じで、
何回ものぞき込むようなしぐさを見せました。

家にはいないけど、キャンカーには居るのかと思うのか・・・
そこの気持ちはよく分からないけど・・・

銀が亡くなってしまった後、とにかく甘えん坊が助長したと言うか、
不安からなのか、銀の存在がなくなったからなのか、わたしへの依存が今まで以上に強くなりました。

亡くなってさいしょは、主人だけでは散歩も行かなかったです。
前は気付かなかったのですが、銀がいたから、わたしがいなくても散歩に行ったんだと気づきました。

リビングで寝ている時も、銀のそばで寝ていたけれど、わたしの横にピットリになってしまいました。
二階に上がれば必ずついてきて、お風呂に行けば・・勝手口から外に出れば・・
と、ホントにストーカーになってしまって・・

銀鹿でお留守番してもらう時は、「ハウス!」で、銀がササっと自分のゲージに入り、
それを見て鹿も、すぐ自分のゲージに入っていたのですが、
今は、留守番してもらおうと「ハウス!」と言っても、ごねてなかなか入りません。

すぐに「出して出して!」とギャンギャン言ったり、
帰ってすぐに、玄関にわたしの気配がしただけで、キュンキュン泣くようになりました。

今は、少しは慣れてきたようにも思いますが、とにかく依存がすごくて・・・
鹿之介にとって、銀次郎って、兄であり一番大事な家族であり、大事な遊び友達であり、
家の中でワンコ族の仲間として、唯一無二の存在だったんだと改めて思っています。

銀はほんとに優しく受け入れてくれたから・・・

そう思うと、ほんとうに鹿ちゃんが可哀そうです。

お散歩やお出かけで、他のワンコに会った時も・・
銀がいるときは、散歩中、他のワンコに会うと、鹿は警戒して騒ぎ出しますが、
銀は人にもワンコにもフレンドリーにご挨拶するので、その後ろに隠れながらも、
怖いけど、少しご挨拶しようかな・・どうしようかな・・と言う感じしたので、
そのうち慣れてくれるかなーなんて、のんびり構えていましたが、
ひとりになった今は、警戒してワウワウキャンキャン言うだけです。
そこは、わたしがどんなにご挨拶して、ニコニコお話してもダメなんですよね・・・

銀を亡くして、それはもう悲しくて辛くて、この前まで一緒に散歩した道を歩くなんて、
歩きながら泣けて泣けて、行くのがホントに嫌だと思ったけれど、
鹿に、「お散歩すら連れて行ってもらえない、パパママはいつも暗い顔して・・」
って、これ以上悲しい気持ちにさせられないしと、そこはそう思っていました。

鹿之介を迎えたのは・・・
銀に弟分をそろそろ考えてみようかなと、銀のブリーダーさんに言ってたものの、
ウチが都合がいい時期に、希望の色や性別のパピーちゃんがピッタリ生まれてくれるわけじゃないですよね・・・
じゃぁ、もう少し待とうかなと話してたら・・・

そしたら、わたしの理想を聞いてくれて、お知り合いブリーダーさん犬舎で生まれた子を、
この子だったらご希望通りじゃないですか?と、見つけてくれた子で・・・

見せてもらったら本当にその通りで、とてもかわいい幼いころの写真を見て、
この子をぜひ迎えたい、この子を銀の弟に・・と思い定めて、
両方のブリーダーさんに、いろいろお願いして、やっと迎えた子です。

寂しがらせたり、不安な気持ちにさせたり、お世話を疎かにして、体調などに影響を与えるようなわけにはいかないですよね・・・
ブリーダーさんにも申し訳ないし、もちろん自分も、そんなことは本意ではないし・・・

いまのところ、体調を崩すようなことはないけれど、トリマーさんからの指摘で、
退屈からか気持ちのせいなのか、前アンヨを舐めてすぎているようです。
銀が亡くなる前は、そう言うことは無かったとおっしゃり・・・
今はまだ、獣医さんに見せるほどじゃないけれど、気を付けてあげて下さいと言われています。

気付いたらおもちゃで遊んであげて、気を逸らしていますが、なかなか改善はしないので、
寝ている時とかにも舐めているのかもしれません。

今はなるべくたくさん遊んであげているつもりですが、
そりゃもう、どんなに遊んであげても・・銀ちゃんの代わりにはなりませんよね・・

今は、まだ全然考えられないことですが、例えば鹿ちゃんに弟妹ちゃんを迎えたとしても、
それで解決できるかは、分からないと思っています。
まだ若いので、そのうち克服してくれるんでしょうが・・・

でもやっぱり、鹿にとって、優しい銀兄ちゃんの代わりはいないんだろうなーと・・・

そう思うと・・・
やはり・・返す返すも銀を亡くしたことが、無念でなりません・・・

まだ鹿は1才半・・・男の子という事もあるのか、まだまだ子供で甘ったれです。
鹿之介も銀と同じく、わたし達にとって、とても大事な息子であることに変わりありませんし、
少しでも早く、その寂しさを忘れられるようにしようと思っています。

鹿は自分も寂しかったろうに、わたし達を元気づけてくれました。
鹿ちゃん、ありがとう・・・これからも元気でいてね・・・












ご報告・・銀次郎のこと⑤ わたしたちの後悔・・

前回書いたように、銀の病気を発見して下さった獣医さんから、
昨秋分かっていても、余命はあまり変わらなかったろうと言われました。

もうその時でもすでに、手術は難しかったであろうし、抗ガン治療も効果は見込めなかったであろうと・・・

それに、ネットで見せてもらった資料にも、

発見できた時には、すでに手遅れであることが多く、
身体に大きな負担をかけて手術や抗癌剤治療を施しても、余命は半年程度と考えられている、
手術後の再発率が高く完治が難しいがんの一種・・


そう書いてあります。

かなり珍しいみたいですが、人間にも血管肉腫と言う病気はあるようで、やはり予後が悪いガンらしいです。
人でさえ、現在もなかなか治療や完治が難しいらしいので、ワンコはもっとでしょう・・・

だから、お別れの時期はあまり変わらなかったのでしょう。 それは納得しています。
滅多にないそんな病魔に襲われてしまった銀が、ほんとに不運で可哀そうだったと思います。

でももし、昨秋、前の獣医さんが見つけてくれていたら・・・
わたしが早めにセカンドオピニオンを実行し、早くに分かっていたのなら・・・
もっと違う過ごし方をしていたと思うのです。


手術や抗ガン治療がほとんど効果がないと言うのなら、
その頃分かったとしても、苦しませるだけの、そんなことはしないという選択をしたかもしれません。

これが発症直後(← いつのことか分かりませんが・・) に、偶然にでも見つかって、まだ手術で取り除けそうなら時期なら、話は別ですが・・・

でも2,3か月前に分かっていたら、そりゃもう辛い時期が長くなるでしょうけど、
その方がずっとずっと良かったと思うんです。

ホスピスってあるじゃないですか・・・
亡くなる日まで、そういう風に過ごさせてあげたかった。
わたし達も、そういう覚悟を持って、最期の時を大切に過ごしていきたかった。

前回書いたけど、前の獣医さんから、お腹が弱くなっているのでと、
チーズやサツマイモ、かつお節やササミまで、とりあえず止めてと言われました。
これらは銀が大好きだったもので、その中でも最も好きだったパンも、あまり上げないでと言われていました。

消化器ケアのドッグフードや、普通のフードでもいいから数種類用意し、
食べたくなるものを見つけて、それをローテーションして食べさせてと言われていました。

わたしも、とにかく早く治したいので、必死に言われるまま、ほとんどフードのみにしていました。

でも不調の原因は心臓にできたガンで、食べ物は直接関係なかったじゃないですか・・・

ほぼ末期がんの状態で、心臓ばかりでなく、きっと消化器系の臓器にも転移してたり、
血液の状態も悪いので、下痢や食欲不振の症状が出てたのじゃないでしょうか。

下痢に血が混じっていることもありましたが、
「まー、血管はちょっとしたことで切れて血がにじんだりするからねー・・」なんて言われて・・
ほんとですかね?
息が荒いこともあって、お腹が痛そうに?お腹を丸めた姿勢になる事もあると言ってたんですがね・・
「腰を痛めたのかな・・」なんて言われてました。

お腹が弱くなってる・・なんてことじゃなかったのに・・・
まもなく亡くなってしまうのなら、まだ少しでも食欲がある内に、食べられるうちに、
好きなものをたくさん食べさせてあげたかった!

食欲なくなってきても、わたし達が食べてるもので、銀が好きなものには、クンクンして欲しそうにしてたこともあったのに・・・

もともとわたしは、あまりたくさん人間の食べ物を上げないタチですが、
余命いくばくかと思えば、それが原因で死期がすごく早まるとかでなければ、
何でも好きなものを好きなだけ、食べさせてあげたかったです。

ドッグランとかに行くと、地べたにはたくさんバイキンもあるから、舐めたりしてお腹を壊すので、
当分の間、ドッグランとかには連れて行かないでと言われていました。

でも関係なかったじゃないですか。

確かにダダーーっと走らなくはなっていましたが、ドッグランでリードを外してランランするのは大好きでした。
クン活したり、他の人の所に愛想をふりまきに行ったり、ウロウロ楽しそうに過ごしていたのに・・・

連れて行かなくなっていました。 
道の駅ドッグランも有料の貸し切りも、わたしが一人でも連れて行けるような所がたくさんあったのに・・・
疲れすぎない程度に、連れて行ってあげたかった。

銀が一緒にいることは、当たり前のことと思っていたので、
当たり前のように過ごしてて・・・

もう少しで亡くなってしまうのかもしれないと分かっていれば、
もっと話しかけ、もっと抱っこして、もっと喜びそうなことをして、もっとたくさん写真を撮って・・・
銀との時間を、もっともっと大切に慈しむように過ごして、
銀との最期の数か月を、そんな風に過ごしたかった。

天災や戦争、思いがけない事故などで、大切な家族や友人を急に亡くしたのと同じですね・・・

そりゃもう、辛い思いで過ごすことになるでしょうけど、その方が良かったと思ったんです。
告知から2日で亡くなってしまうのは・・やはり・・・

大きな後悔はそこです。

そして分かっていれば、車中泊やキャンプも行かなかったんじゃないかな・・
とても調子が良さそうな時に、近場に一泊くらいで・・は考えたかもしれないけど、
昼間にちょっとお出かけするくらいにしたと思います。

疲れさせるから・・と言うのもあるけど・・・

キャンピングカーって、狭いけど第二の家みたいな感じになるので、
ホテルとは違って、移動中であっても、家に近い感じで寛げる空間だと思うのですが、
ウチは、ワンコトイレを置いてなくて、頻繁にお外に連れて行っておトイレを済ませていたし、
ララも鹿もそうだけど、キャンカーの中でチッコウ○チって、したがりません。

だけど、銀は調子悪くなってから、夜寝てる間にウ○チしたくなることも多くて、
わたし達が気づかず寝てるから、仕方なかったのでしょう、エントランスドア近くの床にしていることが何回もありました・・・

鹿ちゃんの食糞は、今はしなくなっているけど、それでも気づいたら、
どうしても気になるのでクンクンしたり、ペロッとしてみたりはあって、それはそれでまた困ったけど・・・

家なら、二階の寝室に一緒に寝ていても、一階に降りてワンコトイレでしてたので、
キャンカーの中のように、排便の場所に困ることもなかったでしょう。

鹿ちゃんは、家ではベッド横のゲージの中で寝かせてて、
下りては行けないので、銀も落ち着いてできていただろうし・・・

そこも後悔しているところです。
車中泊やキャンプに行かなくても、お家でゆっくり銀と最後の時間を過ごせばよかった。

銀はほんとにおトイレ上手で、亡くなるその日まで、チッコもウ○チも、
自分で歩いてワンコトイレまで行って済ませていました。 外すことすらなかったです。

亡くなる2日前告知されてからは、、夜も一階のリビングにお布団敷いて、みんなで寝てて、
階段の上り下りもしないようにしていましたが・・・

分かっていたら、辛い時間が長かったとは思うけど、
こんな後悔の気持ちは無かったと思います。


ララが亡くなった時は16才で、最後の看取りも覚悟してできたし、
かわいいおばあちゃんになってくれてからお空に行ったので、後悔なんか何もないと思ったけれど・・・
今回は後悔ばかりで、思うたびに泣けてきます。


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亡くなって荼毘に付した日、とにかく銀に話しかける所が欲しくて、スマホに入ってるデータでプリントしてきた写真・・・

わたしは、銀の好きな表情って、ちょっと済ましたお顔なのですが、
主人は笑った顔がいいと言うので、とりあえずこれを選びました。

割と最近の写真で、もうだいぶタレ目になっていて、かわいいお顔です・・・


今回はここまでにさせてください。

次は、残された鹿之介のことを書きたいと思います。