12年もたったのか・・
今日は、12回目の母の命日です・・・
先日は、13回忌の法要があったのですが、熊本からの県外移動があるので、
コロナのことや当日の悪天候など考えて、わたしはお寺には行きませんでしたけど、
兄たちが、お参りしてお布施を上げてきてくれました・・・
まー、わたしはもともと、こういった行事などは重要とはあまり思ってなくて、
ママは、わたしやママに関わるみんなの心に、想いとして存在すると思っていて、
つどつどに、それぞれが思いをはせるものだと言う考えなので、
また、コロナが収まって、みんなで遠慮なく集まったり食事したりできるようになったら、
お寺にお参りに行きたいと思っています・・・
お参りに行ってくれた兄たち夫婦に、感謝します・・・
亡くなってから数年は、命日に母との思い出を、ブログにもつづってきましたが、
7,8年たった頃からかなぁ、とりあえず気持ちに区切りをつけて、そういったこともやめたのですが、
今年は久しぶりに、改めて母の思い出を書きたくなりました・・・
こういったことなので、どうぞスルーしてくださいね
桜の時期が命日なので、母が亡くなってからは、満開の桜と母は、わたしにとってはセットです
この写真は、亡くなって数年たった命日に、久しぶりに母が亡くなった病院に行ってみて、
そのとき、散り始めていた桜が、強い風がいきなり吹いてきて、桜吹雪になったのを、
偶然カメラで撮れたもの・・・

奥の建物の中にいた白衣の先生も、わたしと同じで、思わず見とれていました・・・
あれから自分も年を取って、少し具体的に、亡くなる時のことを考えてみたりもします・・・
母は、大きな腹部大動脈りゅうが、二つできているのが発見されてからは、
それがいつ破裂してしまうかが心配で、思い悩むことが多くなり、
検査するたびに、少しずつ大きくなっているのを確認するたび、不安感が増して、
そんな思いで暮らすのが嫌で、自分で手術に臨むことを決断しました・・・
決して軽い手術とかではなくて、二つ一緒に切除できなくて、二回の手術が必要だし、
その後のリハビリも、けっこう長くかかるのだけど・・・
それでも一回目の手術は成功し、リハビリも頑張って、退院して一年ほど家で暮らし、
やっぱりもう一つの動脈瘤も心配で、二回目の手術に臨んだのです・・・
でもけっきょく、術後ICUから出られることはなく、ほとんど意識を回復することもなく、
その間に、他の臓器にもいろんな不具合も出てきて、けっきょく手術から数か月後、
帰らぬ人となりました・・・
「若くもないのに、そんな大手術せずに、穏やかに暮らせばよかったのでは・・」とか、
「けっきょく、手術ミスだったのではないか・・」とか、そう言う人もいました・・・
手術ミスがあったのか、それはわたしには分かりようがありません・・・
でも、母がとても信頼していた先生の執刀で、少なくとも一回目は、成功したのですから、
少なくとも、ケアレスミス的なことは無かったはずと信じていますし、
年齢的なリスク等は、母本人も理解していました・・・
死にたいと思ってたわけじゃなくて、前のように安心して楽しく暮らしたいということで、
手術を決断したのですから、不本意と言えば不本意と言えますが・・・
でも、わたしも同じように考えるかなと思うんです・・・
ただ、わたしは元々の性格が違うので、動脈瘤がいつ破裂するか・・・みたいなことは、
母みたいには、思い悩まないかもしれません・・・
なるべくリスクを減らすような生活を心がけて、あまりそのことを考えないようにする・・
みたいな感じかなと思うけど・・・
でもまー、分からないなー・・・
同じ立場に立てば、母のように思い悩んで、トイレに行くことすら恐怖・・・みたいなことになるのかもしれません・・・
もしそんな心境なら、やっぱりわたしは、母と同じ決断をしたと思います・・・
母は、父(母にとって夫)が、すでに亡くなっていたので・・・
生きていたら、別の決断になったかもしれないけど・・・
つまりね・・・
病気を抱えて、心配で寝るのも怖い、トイレでいきむとか、一人で入るお風呂も怖い・・・
みたいな気持ちなら、リスクを考えても、安心して暮らせるようになる確率にかけたいと、
わたしも思うなーとね・・・
そして・・・
母は、術後からだったので、気管挿管もされてるし、体中チューブだらけだったけど、
自分は、その後元気に暮らせる希望があまりないなら、延命治療も希望しないと思ってもいます・・・
先日、叔母(母の妹)から、もし今後何かあっても、延命治療はしたくないと言っていたと、
周りの人に言ってほしいと言われました・・・
叔母は、結婚していなくて、近い存在の一人がわたしなので、そういうことをわたしに言っているのだと思います・・・
みんな同じ気持ちなんだね~
あらためて、12年もたったのかと思います・・・
わたしにとっては、最高の母でした。
とても優しい人でした。
一生、追いつけません・・・
コメ欄お休みしています・・・
先日は、13回忌の法要があったのですが、熊本からの県外移動があるので、
コロナのことや当日の悪天候など考えて、わたしはお寺には行きませんでしたけど、
兄たちが、お参りしてお布施を上げてきてくれました・・・
まー、わたしはもともと、こういった行事などは重要とはあまり思ってなくて、
ママは、わたしやママに関わるみんなの心に、想いとして存在すると思っていて、
つどつどに、それぞれが思いをはせるものだと言う考えなので、
また、コロナが収まって、みんなで遠慮なく集まったり食事したりできるようになったら、
お寺にお参りに行きたいと思っています・・・
お参りに行ってくれた兄たち夫婦に、感謝します・・・
亡くなってから数年は、命日に母との思い出を、ブログにもつづってきましたが、
7,8年たった頃からかなぁ、とりあえず気持ちに区切りをつけて、そういったこともやめたのですが、
今年は久しぶりに、改めて母の思い出を書きたくなりました・・・
こういったことなので、どうぞスルーしてくださいね

桜の時期が命日なので、母が亡くなってからは、満開の桜と母は、わたしにとってはセットです

この写真は、亡くなって数年たった命日に、久しぶりに母が亡くなった病院に行ってみて、
そのとき、散り始めていた桜が、強い風がいきなり吹いてきて、桜吹雪になったのを、
偶然カメラで撮れたもの・・・


奥の建物の中にいた白衣の先生も、わたしと同じで、思わず見とれていました・・・
あれから自分も年を取って、少し具体的に、亡くなる時のことを考えてみたりもします・・・
母は、大きな腹部大動脈りゅうが、二つできているのが発見されてからは、
それがいつ破裂してしまうかが心配で、思い悩むことが多くなり、
検査するたびに、少しずつ大きくなっているのを確認するたび、不安感が増して、
そんな思いで暮らすのが嫌で、自分で手術に臨むことを決断しました・・・
決して軽い手術とかではなくて、二つ一緒に切除できなくて、二回の手術が必要だし、
その後のリハビリも、けっこう長くかかるのだけど・・・
それでも一回目の手術は成功し、リハビリも頑張って、退院して一年ほど家で暮らし、
やっぱりもう一つの動脈瘤も心配で、二回目の手術に臨んだのです・・・
でもけっきょく、術後ICUから出られることはなく、ほとんど意識を回復することもなく、
その間に、他の臓器にもいろんな不具合も出てきて、けっきょく手術から数か月後、
帰らぬ人となりました・・・
「若くもないのに、そんな大手術せずに、穏やかに暮らせばよかったのでは・・」とか、
「けっきょく、手術ミスだったのではないか・・」とか、そう言う人もいました・・・
手術ミスがあったのか、それはわたしには分かりようがありません・・・
でも、母がとても信頼していた先生の執刀で、少なくとも一回目は、成功したのですから、
少なくとも、ケアレスミス的なことは無かったはずと信じていますし、
年齢的なリスク等は、母本人も理解していました・・・
死にたいと思ってたわけじゃなくて、前のように安心して楽しく暮らしたいということで、
手術を決断したのですから、不本意と言えば不本意と言えますが・・・
でも、わたしも同じように考えるかなと思うんです・・・
ただ、わたしは元々の性格が違うので、動脈瘤がいつ破裂するか・・・みたいなことは、
母みたいには、思い悩まないかもしれません・・・
なるべくリスクを減らすような生活を心がけて、あまりそのことを考えないようにする・・
みたいな感じかなと思うけど・・・
でもまー、分からないなー・・・
同じ立場に立てば、母のように思い悩んで、トイレに行くことすら恐怖・・・みたいなことになるのかもしれません・・・
もしそんな心境なら、やっぱりわたしは、母と同じ決断をしたと思います・・・
母は、父(母にとって夫)が、すでに亡くなっていたので・・・
生きていたら、別の決断になったかもしれないけど・・・
つまりね・・・
病気を抱えて、心配で寝るのも怖い、トイレでいきむとか、一人で入るお風呂も怖い・・・
みたいな気持ちなら、リスクを考えても、安心して暮らせるようになる確率にかけたいと、
わたしも思うなーとね・・・
そして・・・
母は、術後からだったので、気管挿管もされてるし、体中チューブだらけだったけど、
自分は、その後元気に暮らせる希望があまりないなら、延命治療も希望しないと思ってもいます・・・
先日、叔母(母の妹)から、もし今後何かあっても、延命治療はしたくないと言っていたと、
周りの人に言ってほしいと言われました・・・
叔母は、結婚していなくて、近い存在の一人がわたしなので、そういうことをわたしに言っているのだと思います・・・
みんな同じ気持ちなんだね~
あらためて、12年もたったのかと思います・・・
わたしにとっては、最高の母でした。
とても優しい人でした。
一生、追いつけません・・・
コメ欄お休みしています・・・
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